退任式
12年間支えて頂き感謝に堪えません。
この12年間の私のキーワード 1 一歩一方前へ前へ確実に。2 民間で出来ることは民間で。3 市民との「協働」、その関係は、市民とは「ふらっと」に。 市長という敷居を外すなどが挙げられます。
しかし、この12年間は順風満帆ではなく、大嵐の大海に船をこぎ出すようなのもでした。就任した途端、広域職員の殉死。右も左も分からない者が、家 族のこと、今後の対応など様々な事柄が去来する中を、成田空港から直行 し、急遽の記者会見でした。 次は東日本大震災。司令塔の庁舎が使えなくなり、たった2日半で歴文への 移転。余震の続く中の作業は過酷で不安のなかの作業でした。 次は大雪災害。全く動けない状況での実務遂行。消防も含め、約1週間缶詰 状態で、心身共に消耗しました。 次は台風19号被害。秩父は災害に強いと考えられてきましたが、大規模土砂災害への遭遇。しかし人的被害はなく良かったでした。 次は豚コレラ。養豚場の方々を思うと、かける言葉もありませんでした。 最後は新型コロナウイルス。医師の市長としての対応は、全国的にも評価を 頂き、良かったと思っています。しかし、敵も巧妙に変異を繰り返し、人類 を痛め続けています。今後も職員の英知を結集し、医師会との協力で対応し て行かなければなりません。
次は基盤整備。ある程度、自分の構想が実現できたと考えます。
まず、新火葬場建設。地元との協議に約20年の歳月を費やして、立派な建物が完成できました。たいへん喜ばれています。個人的には義理母を送り出し たとき、作っておいて良かった感じています。 消防分署統廃合。栗原市政からの引き継ぎ事案でありましたが、4分署の場 所選定や木造建物など、私のイメージ通り出来たと思っています。 クリーンセンターのゴミ発電。内田前市長さんの想いをもとに、建設が完了 し、私の環境施策の一つの実現で、私自身、たいへん満足しています。これ が秩父新電力(株)へ繋がり、様々な環境施策を実現出来ています。
そして、12年間で様々な困難を乗り越えてきた水道事業の広域化。この事業 の成功は私の自慢施策の一つに挙げられます。 道に関しては、影森泉町の市道140号開通。視目坂下交差点付近の歩道整備。矢尾付近の交差点改良。セメント跡地への市道新設などが挙げられ、そ れとともに、オプナス社の企業誘致の成功に繋がりました。
様々な施策のなかでも、環境施策、とりわけゼロカーボン宣言とその実行は 国より先を動いき、実績をあげることができました。もう一つは観光施策で す。観光を秩父地域が一つとして捉える「おもてなし観光公社」の設立。今 や沖縄に迫る年間観光客数を誇ることができました。今後も、この2つの目 玉施策は必ずや発展していくものと期待しています。
さて、私の施策の方向性を示すと、「小さな行政、事業の広域化」であった と考えます。つまり、人口減小の市や町の自治体の事業規模を縮小してい き、秩父地域を一つとする広域化の推進でした。即ち、広域市町村圏組合と 定住自立圏構想の2枚看板を進めることでした。これにより、前述した様々 な事業を含め、大きな成果を残すことができました。またこの考えのもとワ クチン接種でも「秩父方式」が一言で決まり実施に至っています。
しかし、失敗も正直たくさんあったと思いますが、これらの施策を実現出来たのも、4町の首長、市や広域職員の努力のお陰と思い、感謝に堪えません。
さて、この選挙は、私の7回の選挙で、たいへん悔しく、未だに信じられな い選挙であったと思っております。皆さんから多くの応援を頂いたにも拘わ らず、実現出来なかったことは、私の「油断」即ち「不徳の致すところ」と 思い、たいへん申し分けなく思っています。申し訳ありませんでした。
さて、最後になりますが、職員のみなさんは、今後、市民の幸せのために粉骨砕身、鋭意努力をして頂くようにお願いします。 今後も秩父市政発展を願い、私の感謝とお礼の言葉とします。ありがとうご ざいました。
今後の私の身の振り方ですが、まずはご支援頂きました方々への感謝とお詫 び行脚を行い、同時にワクチン接種医不足という状況ですので、医師免許を 持つ者として協力する一方、母校の大学病院等や関連施設で医療研修を受け たのち、久喜医院でrestartに向けて動き出します。それとともに、今後展開
される新市政を注視して参る所存です。私や私を支援して頂いている方々の意に沿わない方向性が進んでいる場合、市政が停滞する場合は、状況をみて、この場に戻る場合も あるかも知れないことを申し添えます。